東京芸大には邦楽科があります。
当時は、
三味線音楽の長唄、常磐津、清元、
邦楽囃子、
箏曲、尺八、
能楽、能楽囃子
の各専攻があり、
2年生から副科実技として
専攻生でない学生もレッスンを受けることができました。
文楽をみて義太夫三味線を演奏してみたい!とひらめいたのは
1年生の時で、
まだ副科の授業を取ることができませんでした。
しかたなく
邦楽科のおともだちに
長唄三味線をちょこっと教えてもらいましたが、
なぜだかすぐに演奏できるようになっていました。
「三味線、おもしろい~(●^o^●)」
(最近わかったのですが、私のご先祖さまに三味線奏者がいらしたようで、その方の霊的導きで三味線を始めたようです)
「でもやっぱり義太夫三味線が弾きた~い(*´▽`*)!」
ところが、邦楽科には「義太夫三味線」を教えてくれる科が
ありません。
そこで私は、
『横浜文楽同好会』という鑑賞組織に入り、
そこの事務局長さんと仲良くなって、
竹本文字太夫師(のちの人間国宝・竹本住大夫。今春逝去。)
を紹介していただき
「直談判」しました
(≧▽≦)
「義太夫三味線の勉強をしたいのですが、
文楽に入ることはできませんか?」
すると、、
「女性は文楽に入ることはできまへん。
女流の義太夫さんを紹介しますわ。
文楽の師匠にお稽古してもろうてる優秀な人で、
間違いない。
そこいってお稽古してもらいなはれ。
それが一番や。」
えっ女流義太夫
な、なんだそれは
明治期後半に大流行した娘義太夫
さっそく、
当時女流義太夫の月例公演が行われていた
上野広小路「本牧亭」(2011年閉場)におもむきました。
生まれてはじめて下足番のおじちゃんに靴を預け、
畳敷きの寄席に足を踏み入れて、
しびれる足でお座布団に座って待つこと30分。
いざ開幕して驚いたことには、
文楽みたいに人形がついていないではないか(゜o゜)!
出演者は太夫さんも三味線さんも
高齢のおばあちゃんたちだらけではないか(゜o゜)!
太夫さんはおばあちゃんなのに、
おじいちゃんのような声で語っているではないか(゜o゜)!
めくるめく女流義太夫ワールドに圧倒されました。
住太夫さんに紹介していただいた
竹本駒之助師は、
80歳~90歳のおばあちゃんたちに比べれば断然お若いほうで、
当時40歳代前半だったかと思います。
終演後すぐに楽屋にうかがって
お稽古をお願いし、
二つ返事で引き受けていただいて
相模大野のお稽古場に通うことになりました。
そして、
最初は「てほどき」ということで、
語りと三味線の両方をお稽古していただきました。
じつは
文楽できいた太夫さんの語りは、
つばを飛ばしながら大声を張り上げて、大汗かいて泣いたり笑ったり(;^ω^)、、、
ちっとも「いいな」とは思わなかったのですが、
自分でやってみると、浄瑠璃の語りもなかなか楽しいものです。
ピアノと違って譜面もないし、口伝えの世界。
最初はとまどいましたが、
慣れてくるとそれがまた面白くて、、、、
卒業論文のテーマは「義太夫三味線」に決まりだな!
なんか「芸名」っていうのもかっこいいし、
一生に1つくらいは本名とは違う別の名前もほしいなあ、、
などと考えているうちに、
「三味線をちゃんとお稽古したいなら、
プロの三味線弾きさんに教わらなきゃあかんよ。
文楽の三味線弾きさんのところに行くか?」
という師のお言葉。
うわ~!!文楽の師匠にお稽古してもらえる~!ヽ(^o^)丿!
もちろん即答で「はい!!」とお願いして、
あれよあれよと文楽の師匠のもとに
入門することになったのでした。
つづく