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田中悠美子(ながえゆみこ)

わたしの世界観7~文楽の師匠に入門


じつは、

三味線をはじめたことについて

母は猛反対でした。

「せっかく今までピアノのお稽古を続けてきたのに、

 三味線????

 そんな大道芸で使われるような楽器

 とんでもない!!!!

 三味線折ってやる~!!!!

 キーーーッヾ(*`Д´*)ノ"彡☆!!!!」

(私は「大道芸」大好きです~💗)

やれやれ(^_^;)、、、

洗脳もあってなのでしょうが、、

いわゆる戦中派は、欧米文化へのあこがれが強すぎて、

自国の文化への理解がない人たちが多かったのですね、、、

そんな母も、

国立劇場で行われる「文楽」

というブランドに安心したのか、

次第に文句を言わなくなってきていました(;^ω^)。

さて、

駒之助師がご紹介くださったのは、

4世野澤錦糸師。

師匠である昭和の大名人、

4世竹本越路太夫師にご相談くださり、

「錦糸くんがええやろ」

ということになったそうです。

さっそく

国立劇場の楽屋に連れていかれて

錦糸師、越路師にご挨拶。

当時、

4世竹本津太夫師とともに人間国宝だった越路師の芸は

理知的で品格があり、

ほかの太夫さんとは別格だなあ、と感じていました。

楽屋では、たくさんのお弟子さんたちに囲まれながら

静かにお仕度をされていて、部屋中ぴりぴりとした空気でしたが、

私の顔をみて

「うんうん」とうなずいておられました。

錦糸師は、

越路師よりだいぶ気さくな感じのやさしそうなおじいちゃんで、

まずは宿泊先の旅館でお稽古をしていただくことに。

ありがたいことに、最初のお稽古で

「筋がいい」と気に入っていただき、

とんとん拍子で師のもとに入門することになりました。

義太夫の世界は、

ほかの伝統音楽や芸能の世界と違って「家元制度」がないため、

曲を一定数仕上げてお免状をいただき「名取」になる、

というシステムではなく、

入門が許可された時点から修行を始め、

そこから1年くらいでお名前をいただいて

プロとして舞台を積み重ねていくうちに

持ち曲を増やしていきます。

お月謝も基本タダ。

その代わり

毎月お朔日(ついたち)と十五日には

ご挨拶にうかがい、

師匠の出番があるときは

お手伝いに伺い、

勤労奉仕でお返しするのがしきたりです。

私の場合は、

女性が文楽の楽屋にお手伝いに伺うわけにはいかないのと、

まだ学生の身分だったので、

東京公演の際にご挨拶に伺い

盆暮れのお見舞いをお送りする、ということになりました。

ほどなく

大阪豊中のご自宅にもお稽古に伺うようになり、

大学3年のころには「野澤錦鈴」という芸名をいただき、

子弟の契りを交すお盃の儀式を行いました。

「盃を酌み交わす」という行為が

まるで時代劇のようで

あまりに物珍しく驚いたのですが、

生國魂(いくたま)神社で行われた

「因協会(ちなみきょうかい)」

(人形浄瑠璃の太夫・三味線弾き・人形遣い・女流義太夫の同業組合。2010年解散。)

の総会で、

掛け軸に向かって参拝する儀式にも仰天

だいたい、

当時まだレトロな雰囲気が残っていた「大阪」の街自体が

私にはじゅうぶんエキゾチックでした。。。

ミナミの道頓堀にあった朝日座

(国立文楽劇場が開場するまで大阪公演が行われていた劇場)

の客席では、

おばあちゃんやおじいちゃんたちが

お弁当を食べながら文楽を鑑賞していて、

東京の国立劇場で行われる文楽公演とは

だいぶ様子が違いました。

東南アジアの街のような、エキゾチックな大阪ミナミ、、、、

300年の伝統を誇る「文楽」カルチャー、、、、

まるで異界にタイムスリップしたような、

今にして思えば、過去世に引き戻されたような、

不思議な心地でした。

とはいえ、、、、

世間知らずの母に育てられた

世間知らずの娘、、、、

人一倍気がきかない、ぼーっとした女子大生が

いきなり厳しい伝統芸能界に入ったのですから、

あまりに勝手がわからず、

ずいぶんと浮いた存在だったようです

大学2年から

副科実技で、

三味線、お箏、歌、能の仕舞と謡、お狂言、

雅楽やシタール、ガムラン、伽耶琴など、

超一流の先生方から

さまざまなレッスンを受けまくりましたが、

どれも大学の授業として「レッスンを受ける」感覚で

教えていただいていたので、

問題はありませんでした。

しかし、

師匠のもとに入門して

プロの世界に入るとなると

話は別です。

お稽古用の浴衣の着方もろくにわからず、

リンゴの皮すらまともにむけず、

箸の上げ下ろしから注意され、

学生気分でお稽古の最中にあれこれ質問しては

「あまえは理屈ばっかりやな!!」と叱られるは(;^ω^)、、、

”ざーます気分”が抜けない母が楽屋に伺った翌日には

「おまえの母親はろくに挨拶もできんやつやな」

と叱られましたっけ(;^ω^)、、、

女流義太夫の世界では、、、、

駒之助師の楽屋をお手伝いするといっても、

同門に姉弟子はおらず、

師匠に直接着物の畳み方や肩衣のつけ方を教わって、

あとは

「お茶でも汲んでおきなさい」という放置状態(;^ω^)、、、

お稽古場でも、ひたすらご連中さんや師匠のお茶を汲んだり

お話することくらいしかできない期間が

長く続きました(;^ω^)、、、

まったくもって役に立たない

困った子でしたが、

大学の授業の合間に

文楽に通ったり、

錦糸師にお稽古していただいたり、

女流義太夫の楽屋や駒之助師のお稽古場に遊びに行くことで、

たくさんの義太夫節を

シャワーのように浴びることができました。

つづく


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