古典の場では、
文楽の名人・10世竹澤弥七師のもとに長年通われた
鶴澤重輝師の東京のお稽古場に通い、
「ツレ弾き」がある演目に並ばせていただいて、
駒之助師、重輝師とご一緒に
越路太夫師のお稽古に
連れていっていただいたり、と
たくさんの学びと感動がありました。
しかし、
古典一筋ではないことで、
楽屋やお稽古場でのお手伝いがおろそかになっていた
私の不誠実で「いいとこどり」な姿勢と、
それをなかば放任していた
師匠への批判がとうとう噴出!!
「あんな都合のいい人をのさばらせてはおけない!」
あまりの居心地の悪さに
ますます体調が不安定になり、
足もどんどん遠のいていくのでありました。
そんな中、
1993年12月には
田中悠美子の名前で
自作曲や現代音楽の作曲家への委嘱作品による
リサイタルを決行
師匠のお仕事を
「リサイタルがありますので」と断る
大失態をしでかし、
ついにその後
「音信不通」⇒「お役ごめん」状態になったのでした。
そりゃそうです(;^ω^)、、
駒之助師には、女流義太夫の三味線弾き
として育てていただき、
文楽の師匠のもとをクビになった時には
「鶴澤悠美」として再出発できるようにと
救っていただいておきながら、
「私は田中悠美子としてやっていきたいです!」的
まったくもって撥当たり極まりない、
後足で砂を蹴るようなことをしまったのですから、、、
とはいえ、
リサイタル翌年から
古典以外の演奏の機会はどんどん増えていきました。
「劇団四季」の和ものミュージカルや
吉本興業プロデュースのミュージカルへの参加。
仙波清彦さん関係では
「はにわオールスターズ」
(渡辺香津美、坂田明、斎藤ネコ、coba、久米大作などが参加。ゲストボーカルに
戸川純、デーモン閣下、奥田民生など)や、
三波春夫歌舞伎座リサイタル参加。
現代音楽では、
56歳で夭逝された山田流三弦・高田和子さんのお誘いで、
あこがれの高橋悠治さんとご縁ができたり、、、
「日本音楽集団」の団員として
アデレードフェスティバル公演や
クルト・マズア指揮ニューヨークフィルハーモニックのコンサートの参加。
なかでも
94年に仙波さんのお誘いで
「邦楽部隊」の一員として初参加した
ジョンゾーンのコブラは
衝撃でした(゜o゜)!!!
ハンドサインを用いたサバイバルゲーム感覚の集団即興音楽ですが、
集まった面々がすごかった(≧▽≦)!!
即興音楽(完全即興演奏)は、
この先私がどんどんはまっていったジャンル
(日本ではまだまだ認知度が低い)
なのですが、
当時いちはやくそのスタイルで演奏していた
ヴォイスパフォーマーの巻上公一氏(コブラのプロンプター)、
ターンテーブル奏者・ギタリスト・作曲家・プロデューサーの
大友良英氏、
ギタリスト、作曲家の内橋和久氏など、
ジャズ、オルタナロック、実験音楽のそうそうたるミュージシャンたちと出会うことができました。
翌95年には
大友さん率いるジャパノイズバンド
Ground Zero
に参加!!
その後、
ライブハウスでのバンド活動や、
間宮芳生、諸井誠(西潟昭子さんの委嘱曲で)、
高橋悠治といったそうそうたる作曲家とご一緒する
現代音楽エリアの活動を続けるかたわら、
義太夫三味線で
古典をはなれ自分らしい音楽ができないかと
模索していましたが、、、
これがなかなかな難問((+_+))
、、、、
封建社会で起こった不条理な事件を扱った
文楽の作品の中で、
義太夫三味線は、
義理と人情の板挟みになった登場人物の
怒り、悲しみ、苦しみ、葛藤といった
情念を語りだす浄瑠璃(語り)を
伴奏する楽器。
私のほんわかしたキャラクターにあった「音楽」を奏でるには、
その音色はあまりにヘヴィー過ぎました(;^ω^)。
今でも思いだしますが、
恩師・横道萬里雄先生の還暦祝いの会で、
野村萬、観世栄夫、中村富十郎
という豪華メンバーによる
「菅原伝授手習鑑」の「車曳」を
伴奏したときに、
富十郎丈から言われた言葉
↓
「きみは、どうみても義太夫三味線を演奏する人じゃなくて、
草原でのどかに小鳥の声を聞いている子にしかみえないなあ、、、」
(^_^;)
97年5月には
菊地成好氏も参加した
Ground Zeroヨーロッパツアーにも連れていってもらいましたが、
バンドはそのツアーで解散が決定。
Ground Zero
同年秋、
国立劇場演芸場で駒之助師の三味線を弾かせていただく
機会をいただくも、
それを最後に
女流義太夫の世界から完全にフェードアウトしました。
そんなころ、
思いもかけない
ことが起きました。
つづく