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田中悠美子(ながえゆみこ)

わたしの世界観16~ニューヨーク研修、そして大学やめました


ということで、

2004年11月は

"Dogugaeshi"ニューヨーク初演、

主人との出会い、

とよいことが続きました

そして、

翌2005年は

東京や京都での演奏のほか

オスロ―、ソウル、ストラスブール行きもあり、

週末には

主人が住んでいる荻窪のマンションに

帰るようになっていたので、

兵庫、東京、海外と、

「移動移動」の生活を送る状況に。。。

海外行きについては、

大学執行部側の評価に貢献するので、

むしろ推奨されていた感もありましたが、

Hashirigaki”のときほど

頻繁にはならないように、

また、

周囲の先生がたに迷惑がかからないように

なんとか気をつけているつもりでした。

がんばって論文を書いたおかげで、

4月には講師から准教授に昇格!!

6月には主人と入籍!!

それに勢いづいて(;^ω^)、

さらなる”暴挙”(;^ω^)を企てました。

ジャパン・ソサエティーの塩谷さんから言われた

のフェローシップに応募して助成金が取れたら、

ニューヨークに半年くらい滞在できる」

という言葉が

どうしても頭から離れず、、、

「やっぱり行きたいニューヨーク💗!!

ACCに応募する~!!」

出ました!

いつもの

「思い立ったら即行動」\(^o^)/!!

ニューヨークは

それまで既に6回訪れていました。

1985年、セントルイスオペラシアターでの

40日間の滞在期間の合間をぬって、

所作指導の日本舞踊家さんと

美術の朝倉摂さんのアシスタントさんに

連れていってもらったのが初体験。

そのころのNYは

まだまだ危険な場所と言われていましたが、

街自体のエネルギーが

ハンパなく高いので、

ちょっとお散歩するだけでも心がワクワクして、

とんでもなく惹きつけられました

1994年の

日本音楽集団のニューヨークフィルとの共演ツアーでは、

同じく空き時間をぬって

ダウンタウンで行われていた

巻上公一氏のライブを見に行ったり、

大友良英氏も参加していた夕ご飯会に合流したり、、、

なぜだか

ご縁がある街だなあ、

と感じていました。

9.11以降とはいえ、

なんといっても、

世界中の芸術や文化が集まる中心地であり、

「憧れの街」でした。

水野信男先生が退職されたあと、

音楽分野内で私が浮いてしまわないように

なにかと心配してくださっていた

音楽学の長尾先生に

あれこれご相談しながら、

翌2006年1月に申請書類提出!

そして、

ななんと見事受かって、

学内の了承も取り付け、

2006年の9月から2007年の1月まで

めでたくニューヨーク研修を行うことになりました\(^o^)/!!

滞在期間中は

音楽、ダンス、演劇、その他の舞台公演を鑑賞しまくり、

美術館を頻繁に訪れたり、

アーティスト、パフォーマーのもとを訪ねたり、、、

全くの疲れ知らずで

地下鉄やタクシーで1日に3箇所くらいあちこち

駆けずり回っていました。

それらのすべてが奨学金で賄われ、

ミートパッキング・エリアにある

ハドソンリバー沿いのアパートの広い1室、

食費も提供されるという

なんとも贅沢な研修でした。

現地に住んでいる日本人ミュージシャンや、

ツアーに訪れている日本人アーティストさんとも

交流。

Ground Zero時代からの知り合いで、

私の即興の「師」のような存在、

ギタリストの内橋和久氏のライブに来ていた

シンガーソングライター・七尾旅人氏に始めて出会ったのも

この研修期間中でした。

大変ありがたいことに、

主人は長期間の留守に文句ひとつ言わず、

年末の1週間ほど、

一緒にニューヨーク観光をして

たいそう喜んでくれたっけ( ;∀;)。。。

この

夢のようなニューヨーク「芸術三昧」生活は

楽しいことばかりでなく、

マンハッタンの生活自体

過酷を極める部分もありましたが、

それはまた別の機会に、、、

さてさて、

2007年1月、

日本帰国後も

パリ、ドルトムントと

相変わらず海外行きはやまず、、、

そんななか、

9月の”Dogugaeshi”ニューヨーク再演と

11月同公演の日本ツアーの谷間の10月。

前任者がなぜかとてつもなく複雑化して

超ややこしくなってしまった

教務委員の事務仕事中、

おでこに帯状疱疹を発して入院。

「移動移動」の分裂した生活や、

もともと好きで始めたわけではなかった

大学の仕事に労力と時間を注ぐ精神的苦痛、

周囲に遠慮しながらの海外行き、

日ましに強まる

予算カットによる大学危機、

人員削減による仕事の負担激増、

音楽分野内の圧迫感

、、、

歯車がどんどんかみ合わなくなって、

ついにからだが悲鳴を上げたのでした。

そしてついに最後の一手

、、、、、

2008年度

文化庁新進芸術家海外研修」特別派遣(1か月間)

に応募したのです。

行き先はもちろんニューヨーク!!

ななななんと!!

こちらもめでたく採用決定~\(^o^)/!!

最初はなるべく業務上迷惑がかからない日程で

渡航時期を組んでいましたが、

受け入れ側(”Dogugaeshi”のバジル・ツイスト)の都合で

大学の入試期間とバッティングしてしまったのです。

音楽分野の入試委員から、

「入試の時期に海外研修を組むとは(-_-メ)!!

どうしても

入試業務に従事してもらわないと!!

人員が少なくなったので、

以前のように他の人に肩代わりしてもらうことは

絶対できません!!」

と分野会で申し渡され、、、、

海外研修か??

入試業務か??

もちろん答えは

海外研修でした(;^ω^)、、、、

仲良くしてくれた

ピアノの千代ちゃん先生や

音楽学の長尾先生、

美術分野の先生方も

大変心配してくれましたが、

決意は固く、

2008年9月付けで

めでたく(;^ω^)大学を

退職することになりました~

(^^)/~~~

つづく

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