3.11以降
下痢が続く、
新幹線の長距離移動がつらい、
夏は熱中症になりやすい、
インフルエンザにかかると一か月ほど治らない、
などの体調不良が
目立つようになりましたが、
それでもまだまだ
元気にあちこち飛び回っていました。
2012年からの印象深い活動は、、、
1月から
サックスの坂田明さんと、
「はにわオールスターズ」以来の
ご縁が復活!!
『平家物語』などで
あちこち連れて行って頂くようになりました。
3月には
国際交流基金主催の
『東北民俗芸能と
鬼太鼓座&Musicians米仏中巡回公演
~震災を乗り越えて』
にて、
湧水神楽、黒森神楽、臼澤鹿踊り、
おおたか静流さんほかと
ニューヨーク(なんと国連総会議場!)、ロサンゼルス、
パリ、北京、上海、重慶、
広州、香港をめぐり、
帰国後、
NHKホールで行われた
『NHKバレエの饗宴 2012』で上演された
東京バレエ団の「ザ・カブキ」
(振付:モーリス・ベジャール 音楽:黛 敏郎)
で、
たった16小節(;^ω^)演奏される義太夫三味線のフレーズを
東京フィルハーモニー交響楽団と共演!!
4月は
”Dogugaeshi”ワシントン公演。
2013年は
9月から11月にかけて
”Dogugaeshi” ニューヨーク、ロサンジェルス、
バークレー公演
&
サンディエゴの海岸で
バジル・ツイストの新作”Seafoam Sleepwalk”初演。
その合間をぬって、
ニューヨークのHERE Arts Centerで
2010年東京で発表した舞台作品”KIYO”の
ダイジェスト版上演、
サックス・尺八のネッド・ローゼンバーグ、
中国琵琶のミン・シャオファン、
山田流三弦・箏曲の木村伶香能ちゃん、
金子純恵ちゃんたちと
ライブ。
11月にはニューヨークで七尾旅人さんと
ふたたびご縁がつながりました
12月には
ななんと!
大学時代からお世話になっていた
小島美子先生にお声をかけていただいて、
Eテレの
『スコラ 坂本龍一 音楽の学校』シーズン4~日本の伝統音楽
に出演
↓
2014年は
1月から
”Hashirigaki”が初演された
ローザンヌのシアター・ヴィディで
”Dogugaeshi”公演。
2月は
日本独自の音楽文化を世界に発信する
”MultipleTap”ロンドン公演で
ノイズやエクスペリメンタルミュージシャンに混じって
演奏し、
そのままベルリンに足を伸ばして
内橋和久さんオーガナイズの
ライブに参加。
ハイナーさんが聴きにきてくれました
\(^o^)/
↓
4月は台湾の学生オーケストラと
中国琵琶&三味線のダブルコンチェルト初演。
ラジオ番組に出演したご縁で
6月、8月と
立川志の輔 独演会に
ゲスト出演
↓
7月は、
すみだ川アートプロジェクト関係の方々とのご縁で、
坂田明大将とご一緒に
大友良英スペシャルビッグバンドの
アンサンブルズ・パレード/すみだ川音楽解放区
「盆踊り」に参加。
そのまま
調子に乗り(^_^;)、
フジロックフェスティバルの
にスペシャルゲストの一員として押しかけ(^_^;)参加!!
数千人の
お客さんが踊り興じる渦を眺めながら、
盆踊りのリズムに乗った義太夫節の弾き語りを
ぶちかましたので
ありました(*^^)v
勢いは止まらず、
10月には
日本舞踊の会のお仕事で
長年ご無沙汰していた
竹本駒之助師匠とご縁が復活!!
11月には
”Dogugaeshi”以来ずっとお世話になっている
ジャパン・ソサエティーの
塩谷陽子さんにお招きいただき、
若手舞踊家花柳源九郎さんの舞踊付きで
15年ぶりに師匠の三味線を弾かせていただくことに!!
衣笠貞之助監督の
前衛サイレント映画『十字路』 を、
パーカッションのSatoshi Takeishiさんと一緒に
三味線とサンプリングで伴奏するという
スペシャル企画も
設けていただきました。
書いてるだけでもおなか一杯(^_^;)ですが、
2015年もまだまだ、、
1月は
”Dogugeshi”ロンドン公演、
3月は
”Multiple Tap”メキシコ公演、
5月は
”Dogugaeshi”メッツ、パリ公演、
10月は
”Multiple Tap”ブリュッセル、コペンハーゲン、パリ公演、
12月には
という超個性派キーボーディストたちを語らい、
エレキ大正琴バンド「JETA」を結成し、
自主企画ライブをスタート!!
ところが、、、、
3.11以降、
三味線を演奏しては
身体のあちこちが痛くなって
整体でメンテナンスするという
サイクルがすっかり出来上がっていていました(;_;)。。。
ライブが終わった翌日には、
高田馬場の波動治療院に
駆け込んでいたのです。
海外公演の場合は、
現地で探した
マッサージやカイロプラクティックへ。
エレキ大正琴は
”Hashirigaki”のころから
使っていましたが、
次第に即興演奏でも使うようになっていた
お気に入りの楽器でした。
ピアノのように鍵盤があって
三味線のように弦をはじく楽器の在り方が、
これまでの自分の音楽歴に沿うような気がしていたし、
なんとも物悲しいような
コミカルにも聞こえるレトロな音色にも
惹かれていました。
おばあちゃんたちの「カルチャーセンター音楽」だけに
とどまらせるのは惜しいと感じて
バンドを始めたのですが、
「三味線だけでやっていくのは
もう無理だな、、」
と
方向修正を
考えていたのも事実でした。
そして、
ついに運命の2016年が
やってきました。
つづく