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執筆者の写真田中悠美子

わたしの世界観36~私のゆくさき、父のゆくさき

2017年10月。

ドクターの超越気功協会合宿が

福井で行われ、

セミナー後に

永平寺を訪れました。


永平寺は、

大学生のころ

厳しい修行僧の生活を取材したテレビ番組をみて以来

憧れの「聖地」というイメージでしたが、


訪れたのが

午後の観光時間帯だったゆえか、

若い修行僧さんたちがナビゲーターになって

お客さん相手に堂内の解説など行っていて、

イメージとだいぶん違っていました(;^ω^)。





その翌週に行われた大石先生15回目遠隔は、、、


9月初旬に除去していただいた ハートチャクラに宿る強力な父親のトラウマが、 さらに2つ、こんどは右脳に出ていると メールをいただいていたものの、 施術当日に潜在意識に戻ってしまったとのこと。 「父親のトラウマは まだ残っているのでしょうか?」 「潜在意識に 負のエネルギーがとどまってますが、 症状が出てないんで治療できませんわ。」 「昨日も 母の入院保険に必要な書類を病院に取りに行ったり、 父の退院準備連絡をしていたら 頭がクラクラしてきました。」 「思い癖がついてしまってるんです。 相手へのネガティヴな思いは自分に返って来ます。 そこに浸ってしまうと ますます具合が悪くなるので、 嫌な思いをあえていい思いに切り替えて 相手に光を送る『光ワーク』をしてください。 相手の潜在意識に祈り、 光を送って こちらから変えていくしかない!」 「ははあ!なるほど! 相手が悪い、相手を変えなくては、 という自分のネガティブな思いを消して、 自分から光を発して相手に送るのですね!」 「田中さん自身も 周りから具合悪い人と思われ癖を 作ってはあかんのです。 自分自身の闇に光を投げかけて、 明るい自分、強い自分という もう1人の自分を作ってください!」 そういえばドクターからも、 「自分が光になって周りを照らせ!」 と言われていましたが、 頭がふらつく、親と関わるのがこわい! という不安感に押しつぶされて 自ら光を発信するイメージが 持てていませんでした。 ありがたいアドバイスです! ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

翌週16回目の遠隔は、 「【心理面】 心包に三味線関係のトラウマ1つ→喉のチャクラ(怒り) →頸部リンパ→右上肢や後頭部周辺に波及 【肉体面】 視床下部(自律神経・交感神経)→下垂体(甲状腺ホルモン) →甲状腺→頸部リンパ→背中(肩甲骨周辺)に波及」 というシュミレーション。 「リモートビューイングしたら、 心包に35歳の時の 三味線関係のトラウマがありました。 相手に対するというより 自分に対する怒り、自責の念が残っていて 喉の筋肉が緊張し、 首リンパ節の腫れ、右腕、後頭部に痛みを出すことで 解消しようとしてます」 「自律神経、 視床下部の不具合も 首リンパ節に関わっているのですね」 「田中さんのような緊張しいの場合、 交感神経が優位になり過ぎ、 脳下垂体や甲状腺がホルモンを過剰に分泌して 首のリンパ節を腫らせ、 身体を疲れさせることで副交感神経が働き、 痛みを出して身体を治そうとしてるんです。 首リンパ節の腫れは、 心理面と肉体面両方からクロスして起こっています」 「しっかし、 35歳の頃のトラウマって、、、」 「田中さんの身体は もうそこまで戻ってるってことです。 心理面からの症状が出てくるということは、 身体面がずいぶん良くなってるから なんです」 「ほんまですか?!」 「身体が過去の清算をしてくれてるんですわ。 田中さんはこれまでずっと 『こうせなあかん』という状態で 動いてはりましたが、 いまは自分の人生がある程度自由に選べる状態に なってるから、 ずいぶん楽にならはった筈です」 「たしかに!たしかに! こどものころは、母が喜ぶ『ピアノのゆみこちゃん』を 演じ続け、 長じては自分で選んだ道とはいえ 『三味線の田中さん』として 任務を全うしなくては、と頑張り続けてきましたが、 いつ三味線に復帰できるかわからない今は 別のことに目を向けてもよいと考えて ずいぶん楽になっています。」 「痛みの症状が出てきた箇所に、 『ありがとう!大丈夫です!』と感謝することで メンタル面をアゲアゲにして 次なる目標に意識が向かうようになれば、 身体のことなど気にならなくなりますわ!」 「次なる目標」、、、 そう、そうなのです。。。 9月末に受けたタカテルさんのセッションで、 三味線の道は先祖が導いてくれたとはいえ、 楽器自体は「陰」の気を帯びているため、 私は演奏するごとに陰の気を背負って 自分を罰していたというのです。 だから、 三味線はよほど気分がいい時でないと 演奏しないほうがよい、と、、、 独自に編み出した 三味線即興演奏は どちらかといえば面白くて明るくてパンクな演奏の つもりだったのですが、 やはり楽器本来の陰の気は 拭えなかったのです、、、 たしかに、 劇版の録音などで太棹三味線を演奏するときは、 「ダークな」場面やイメージの楽曲を 演奏しなくてはいけないことがほとんどで、 そのたびに 「あああ、この三味線でもっと明るくておしゃれで ポップな音楽が演奏できたらなあ、、」 と常々ため息をついていたものでした。。。 もともとおとなしくてぼーっとしていたけれど、 自分は決して暗い陰気な性格ではありません。 ピアノはその点では 私の持ち味に合った楽器だったと思いますが、 三味線が背負っている世界観と自分の世界観とのギャップは 相当なものがありました。 そんなこんなで、 身体が次第によくなってくると、 三味線ではなく何か別のことをやりたい、、、と 考えるようになっていました。 中学生のころ、水墨画に登場する「仙人」に あこがれていたのと、 吉本新喜劇に出るようなお笑いの人になりたいという 夢もあったので、 身体がよくなったら「お笑い仙人」になりたいなあ、 などとわけのわからない妄想を抱いたり(;^ω^)、、、 今までの人生とは別の道。。。 ドクターに出会ってからというもの、 心やさしき門下のヒーラーさんたちと交流して 「人をいやす職業ってすごいんだなあ!!」と 憧れを持つようになっていたのと、 ドクターや大石先生のような 「サイキック」への憧れもどんどん強まっていました。 そもそも、 パワースポットブーム、神社ブームが起こる もっと前のこと。 神さまや仏さま、民間信仰と関わりの深い 日本の伝統音楽や民俗芸能を 大学で教え始めたころから 「スピリチュアル」なことに 関心を持たざるを得ない環境でした。 また、3.11以降には 「陰謀論」や「都市伝説」「宇宙人」などにも やたらに興味がわいてきて、 ネットであれこれ調べまくったりしていたのです。 折も折、 療養中の貴重な情報源だった スマホをいじっていたら、 とあるスピリチュアル系メールマガジンに 「サイキック・リーダー養成講座」の告知が!! 2011年・12年と連続で 全米No.1サイッキックリーダーに選ばれた ”The Rock Girl”ことアリソン・ヘイズの動画に くぎ付けなりました。 パワーストーンの力を借りて あなたもサイキックになれる!!という 講座内容にノックアウトされた私は、 16回目遠隔の翌週 都内説明会に足を運んでいました。 かなりな高額の講座でしたが せめて説明会だけでもと参加したところ、 アリソン本人の話を聞くだに ワクワク感がいやましに増すばかり、、、 あげく、例の天上からの「GO!」サインが下され、 ついにデポジット金を払ってしまいました!!! 帰宅して家人にその話をすると もち速攻で反対! 三味線を始めて母に反対されたことを 思い出しながら、 気持ちはゆらゆらグラグラ するばかり、、、

翌日、 急遽ドクターの行脚で 前世をみて頂きました。 平安の歌人、大和の橘皇女というお名前が出てきて 胸が高鳴りましたが、 くだんのセミナーについて相談すると、 「技術にばかり走るな。 今まで積み上げてきた音楽を生かし、 独自のやり方を開発すべきではないか?」 と諭されグッと落ち込みました、、、 そして実は、、、 遠隔の2日後、 3週間入院していた父が退院して アパートに戻っていたのです。 「相も変わらず」な私の代わりに 病院にお見舞いにいってくれた主人によれば、 食事があまり食べれないこと以外は どこも悪くないと。。。 父本人いわく、 減塩食でおいしくないため おかゆがおいしく食べれず、 パンのほうがまだましとのこと。 あまり食事がとれなかったというので、 毎日電話しては父の様子を確かめ、 ネットで調べた介護飲料や滋養食品などを 購入してはアパートに送りつけるという 親不孝な娘の対応。。。 とはいえ、 何を送ってもおいしくない、食べれない、 はては食べるのがおっくうだ、 飲み込みにくい、の反応しかありません、、、 ううぬぬ、、あんなに健啖家だった父が、、、 なぜに???? 今にして思えば、明らかに老衰の症状だったのですが、 父の電話の声は 耳が遠いということもあってか やたらに大きくまだまだ元気に聞こえていたし、、、 お年寄りを看取ったことがない私は、 「老衰による食欲不振」ということが もうひとつピンとこず、 気に入ったものがあったらきっと食べてくれるはず! 飲み込みにくいのは喉に不具合があるのか? だったら嚥下用食品を、 などと思い込んで Amazonであれやこれやを買っては 宅配で送りつける毎日。。。。 そして、、、 つづく


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